デス・オーバチュア
第187話「ワルプルギス」



壁も床も天井も全てが黒一色の部屋。
家具を始めとした部屋に存在する物まで全てが黒で統一されていた。
電灯のようなものは存在せず、月明かりのような淡い光が天井から降り注いでいる。
「…………」
部屋の中には一人の女性が居た。
彼女は瞳を閉ざして、黒いハープを一人奏でている。
全てが黒く染まった部屋にあって、彼女の象牙のように白く美しい肌と、淡く儚げな金色の髪だけが際立っていた。
「うふふふふ……」
女性の口から薄笑いが漏れる。
「うふ、うふふふふっ……うふふふふっ……!」
込み上げてくる笑いが堪えられないといった感じで、女性は体を震わせた。
「ああはははははははははははっ!」
そして、ついに我慢の限界を超えたのか、薄笑いを高笑いへと変じさせる。
「もうだめぇ、滑稽すぎて見てられないわ、あはははははははははっ!」
彼女は弦を黒い爪で断ち切ると、ハープを床に叩きつけるように放りだした。
ゆっくりと彼女の瞳が開かれる。
「あぁ、おっかしい……おかっし過ぎて笑い死ぬかと思ったわ……うっふふっ、うふふふふ、うふふふふふっ……」
薄暗い部屋の中で赤い瞳が怖いほど妖しく輝いていた。



桜を呑み込んだ螺旋状の気流は、庵の横を掠めるようにして森の中へ飛び込んでいった。
無数の木々をへし折り、吹き飛ばすようにしながら、気流が森を貫いて遠ざかっていく。
「馬鹿が、自然は大切にしろ……まあ、それでも流石にこっちに打つ程馬鹿じゃなかったか」
庵……ディーンの居る場所は、桜の背後、直線上に存在していた。
桜を呑み込んだ後、気流が急激に曲がらなかったら、ディーンも庵も全て呑み込まれていたはずである。
気流の動きは、まるでディーンと庵を避けるような軌道だった。
いや、明らかに避けたのだろう。
ガイが軌道を調節し、わざとそらしたのだ。
ディーンを巻き添えになどしたら、何をされるか分かったものじゃない。
それ以前に、ディーンを巻き添えにするなど絶対に無理だ。
それこそ、ガイが跳ね返した桜の気流を、さらにガイに向かって『蹴り返し』たりしそうである……。
そういう非常識でデタラメなことができる……やりかねない男なのだ。
「しかし、たったの二倍返しか……どこまでも甘い奴だ……」
ディーンは苦笑を浮かべると、トックリから酒を呷る。
「ふん、こんな未熟な妹弟子を殺して……」
「だ……だっしゃああっ!」
ガイの言葉を遮るように、妙な掛け声をあげて桜が森の中から飛び出してきた。
「……だっしゃあ?」
「はあはあ、危ないところでした……もう少し……遅かったら……ああ、ちなみにさっきの掛け声は脱出!……って叫んだだけですよ〜」
桜は荒い呼吸を整えながら答える。
「……脱出?……確かにな、よくその程度のダメージで旋風から脱出できたものだ……」
桜の姿を一瞥し、ガイは違和感を覚えた。
着物や袴が所々裂かれ、破れ、千切れこそしているが、桜本人は一目で解る程の大した傷は負っていないのである。
一塵法界を受けた時より少ないダメージにすら見えた。
「お前、何を……何を『張った』……?」
「はい? 張るって何のことですか〜?」
ガイの質問の意味を本気で解らないのか、とぼけているのか、桜が疑問符を浮かべたような表情をする。
「……まあいい……で?」
「で?……でってなんですか、先輩?」
「……まだやるのか……と聞いているんだよ……」
「あははーっ、それは勿論……」
桜はディーンにちらりと視線を向けた。
「2ダウンだ……」
ディーンは右手の指を二本立てて見せる。
「ええ!? さっきのダウン扱いなんですか?」
「当然だ。お前はこれで二度見逃されたんだよ、そこの甘ちゃんに……」
「あはは……後輩想いな優しい先輩で助かります……」
桜は、足下に落ちていた短刀と長刀の鞘を拾うと、背中と腰に背負い直した。
「……お前ら……何の話をしている……?」
「言ってなかったか? この死合いは3ダウン制だ」
「……ふざけたことを……」
3ダウン制……まだ戦えても三回倒れれば負け。
まるで遊戯(ゲーム)感覚だ。
「二度も手加減する、お前ほどじゃないさ」
「くっ……」
ガイは口惜しげな表情で押し黙る。
嫌な所を指摘された。
確かに二度も手加減したことはふざけているというか、甘過ぎることは自覚している。
だが、この桜という少女を本気で殺す気にはどうしてもなれなかった。
「あははーっ、本当に先輩は優しいですね……」
桜は長刀を背中の鞘に収める。
「…………」
なぜ、本気で殺す気になれないのか、ガイ自身にもその理由ははっきりと解らない。
桜が弱すぎるから本気になれないのか、未熟な妹弟子を『今のうち』に倒そうとすることをプライドが許さないのだろうか……それとも……。
「今のうち……?」
今のうちとはどういう意味だ?
近い将来、この少女に自分が実力で抜かれると予感しているとでもいうのか?
「じゃあ、ラストバトルですよ、先輩〜」
「…………」
「カムヒア! ワルプルギスちゃん!」
桜は右手を天に突き出すと、パチンと指を鳴らした。



月と星が美しく輝いていた夜空を突然の雷雲が覆う。
そして、黒く曇った空をキャンパスにするようにして、空に巨大なピンク色の六芒星魔法円が描かれた。
次の瞬間、雷の音にも掻き消されない力強い蹄の音が聞こえてくる。
雲の……魔法円の中から、二本の角を生やした黒馬が出現し、地上へと駆けてくるのが見えた。
「何よ、あれ……翼もないのに馬が空を駆けている……それに、あの角……ユニコーン(一角獣)の偽物?」
クロスが天から駆けてくる二角の黒馬を目撃し呟く。
ちなみに、ユニコーンというのは実在するかしないかもはっきりしない幻獣の名だ。
「あははーっ、ワルプルギスちゃんはレーム(二角獣)……一般にはバイコーンと呼ばれる幻獣ですよ。ユニコーンが聖獣……聖なる白馬なら、バイコーンは妖獣にして淫獣……邪悪なる魔性の黒馬ですよ〜。ちなみに、ユニコーンとバイコーンは対をなす幻想馬とされていますが、実はユニコーンの方が後から発見されたバイコーンの派生物、あえてどちらかが偽物とかいうならユニコーンの方が偽物ですね……魔術師のくせに勉強不足ですよ、クロスティーナさん」
「う、悪かったわね……天使や悪魔や魔族と違って、幻獣……怪物系はあんまり興味ないのよ……」
「あはは……本当に強い者にしか……高次元生物にしか興味がないんですね……とうっ!」
桜は、背後の上空に来ていた二角の黒馬ワルプルギスに飛び乗る。
桜が乗馬すると、ワルプルギスは大地に降り立った。
「……なるほどな……お前は『馬術』の方を選択したわけか……」
ガイが何かを悟ったかのように口にする。
「ああ、そういえば言い忘れていたな……桜は、お前が数年かかってやっと覚えた『剣』の現象概念を三日で、基本三風も同じく三日で修得した……本当に優秀な弟子だ、駄作のお前と違ってな」
「現象概念を三日……それは優秀じゃなくて異常って言うんだよ……」
ガイは剣を両手で握り直した。
「あははーっ! では、行きますよ、先輩〜! ハイヨウ! ワルプルギスちゃん!」
「つっ!」
突然、ワルプルギスごと桜の姿がガイの視界から消え去る。
「恋邪馬脚死(れんじゃばきゃくし)!」
ワルプルギスはガイの背後に出現すると同時に、彼を後ろ足で蹴り飛ばそうとした。
だが、ワルプルギスの後ろ足はガイの体を擦り抜ける。
「他人の恋路を邪魔する奴は……馬に蹴られて死んじまえか……」
後ろ足が擦り抜けたガイの姿が掻き消えると、入れ代わるように桜の上空にガイが出現した。
「邪魔した覚えはないんだがな……!」
「ちっ!」
桜は背中から長刀を素早く抜刀し、ガイが振り下ろしてきた剣の一撃を辛うじて受け止める。
『バルル……!』
ワルプルギスが、空中のガイを二本の角で突き刺さそうと突きだしてきた。
「とっ……」
ガイは、他ならぬ突き出された角を踏み台にして、空高く飛び逃れる。
「……おい、その馬、鳴き声が変じゃないか……?」
宙返りして、かなり離れた位置にガイは着地した。
「はい? 馬の鳴き声はバルルルーン♪……に決まっているじゃないですか〜」
「……そんな馬がいるか……」
「居ますよ、ほら」
『バルルルーン!』
桜が足でワルプルギスの横腹を蹴ると、ワルプルギスが奇妙な鳴き声をあげる。
「ねっ、鳴いたでしょう〜♪」
「……もういい……お前にはもう何も言うまい……」
この馬……いや、この馬の主人には何を言っても言うだけ無駄だとガイは悟った。
「ふぇっ?」
「いいから、さっさと来い……馬刺にしてやる……」
「あははーっ! この超次元爆走馬ワルプルギスちゃんをそこらのサラブレット(競走馬)と一緒にしないことですね! このワルプルギスちゃんは私が七千八百年の歳月をかけて調教したスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルハイパーサラブレットですよ〜!」
「…………」
「あまりの馬力と気性の荒さに以前の私では乗りこなすことができなかったのです! だが、殲風院流馬術を修得した今の私は自在にワルプルギスちゃんを乗りこなせるのですよ!」
『バルバルッ!』
「……最後以外全部……嘘だな……」
ガイは桜に冷めた眼差しを向けながら指摘する。
「あや? バレちゃいました? あははーっ、本当はつい最近できたお友達に貰ったお馬さんなんですよ〜。ちょっとハッタリかましすぎましたか? あはははははっ!」
桜は大嘘をついたことを悪びれもせず、高らかに笑った。
「……なんであんな一発でバレるような大嘘を堂々とつけるのかしらね……」
「……嘘だったのか……?」
「姉様……」
完全に観客になっている、ハイオールド姉妹の会話である。
「…………」
ファーシュは会話に加わらず、無言で桜を見つめていた。
「……じゃあ、ここからは真面目に行きますよ〜! GOGO! ワルプルギスちゃん!」
爆発するような音と共に、ワルプルギスの姿が消える。
直後、ガイの姿が空高く放り上げられていた。
「あはははははっ! これこそまさに人馬一体の妙技! 殲風院流の真価は馬上でこそ発揮されるのですよ、先輩!」
ガイが先程まで立っていた場所に、桜が代わりに姿を現す。
「まあ、否定はしないがな……特に疾風はそうやって使うのが本来のスタイルだ」
殲風院流の開祖であるディーンは、酒を呷りながら二人の死合いを見せ物のように眺めていた。
彼にとっては、弟子同士のこの死合いは酒の肴、座興に過ぎないのかもしれない。
「つっ……」
ガイは空中で体勢を立て直した。
桜の放った疾風の一太刀は、しっかりと剣で受けたのだが、ワルプルギスの駆け抜ける勢いの凄まじさによって、宙へと打ち上げられてしまったのである。
「後、こんなこともできるんですよ〜!」
先程と同じ爆音が響いたかと思うと、ワルプルギスの姿が掻き消えた。
「ちっ!」
ガイが剣の背を盾にするようにして突き出す。
次の瞬間、ガイの姿はさらなる高空に吹き飛ばされていた。
例によって、ガイが居たはずの場所にはワルプルギスに乗った桜が浮遊している。
「あははーっ! 空を駆けるレームであるワルプルギスちゃんに乗った今! 私は地上の八方位だけでなく、上から下、下から上へ……真の『全方位』に疾風を放つことができるのですよ〜!」
ワルプルギスには地上と空の区別はない、空中も地上とまったく同じ速度で駆け抜けることができるのだ。
「ではでは、トドメですよ〜。先輩の優しさへの返礼に……いたぶったりせずに一気に仕留めて差し上げます〜! 掟破りの桜版一塵法界!」 
ワルプルギスが消え、荒れ狂う風の暴虐の音が空を駆け巡る。
「斬っ!」
爆弾の大爆発するかのような風音が夜空に響いた。



「…………」
イヴは物のように無造作に魔夜を温泉へと放り込んだ。
「ぶはあああああっ!?」
数秒後、温泉の中から勢いよく魔夜が飛び出してくる。
「ふうふうう……服のまま放り込まないで欲しいぜ、兄貴……」
この場にクロスなりタナトスなり他者が居たら、魔夜のこの発言にツッコミを入れたはずだ。
突っ込むところはそこだけなのか? 服さえ脱がしてからならこの扱い自体には文句も問題もないのか?……と。
「んっ、やっぱり、温泉の精が出てきて……金の魔夜と銀の魔夜に増やしてくれたりはしないか……」
「……兄貴?」
魔夜は姉にしか見えない兄に、大丈夫かこいつ……といった眼差しを向けた。
「何、その顔は? ただの冗談よ」
イヴは涼しい顔で言う。
「……兄貴……真顔というか無表情で冗談はやめてくれ……しかも、外すし……」
魔夜は温泉の上に浮遊しながら、水に濡れた犬か猫のように全身をプルプルと振った。
「汚い、私の洋服を濡らしたら今度こそ完殺するからね」
「うっ……」
魔夜の動きがピタリと止まる。
「何回……何十回?……爆破すれば吸血鬼(魔夜)は死ぬのかしらね?」
イヴは口元に手をあてて、上品に楽しげに笑った。
「うううっ……」
怖い。
殺されるのが怖いのではない、死ねずに何十回……何百回と爆破を繰り返されるのが怖いのだ。
吸血鬼の不死身さが逆に拷問を成り立たせるのである。
死ぬより辛い……いや、爆発ぐらいでは死ねないゆえの拷問だ。
「いやね、可愛い『義妹』を本気で爆殺なんてするわけないじゃない……フフフッ」
イヴは笑いながら、右手を握ったり開いたりしてみせる。
「…………」
イヴの発言には、恐ろしく説得力がなかった。
今までイヴに何度爆破されたことか計り知れない。
それこそ、人間が一生に食べたパンなり、ご飯の数……一度も爆破されずに会話が終わったことの方が少ないぐらい、いつも気軽に爆破されてきたのだ。
「……ところで、何でこんな所に兄貴が居るんだ?」
魔夜は会話の内容を切り替えようと、無難な質問を口にする。
「姫様の温泉療養の付き添いよ……まあ、殆ど御趣味の温泉巡りな気もしますけど……」
「極東温泉巡りツアーかよ、相変わらず呑気なお姫様だぜ」
「姫様を侮辱することは許しません……というより、極東食い倒れ旅行をしようとしたあなたにだけは言われたくないですね」
話題が主人であるリューディアのことになったせいか、イヴの口調はいつの間にか丁寧なものになっていた。
「まあ、あのお姫様が何処で何をしようと私の知ったことじゃないぜ。そういうことで、私は食い倒れツアーに戻って……いいでしょうか、イヴお姉様?」
セリフの後半だけが妙に弱気である。
機嫌を損ねないように、低姿勢でお伺いをたてるといった感じだ。
それ程までに、魔夜にとってイヴは怖い存在なのである。
「ん……まあ、そう慌てなくても料理は逃げないでしょう」
「え?」
「せっかく、物凄い偶然でこんな東の果てで出会ったのだし……たまには兄姉水入らずで湯に浸かるのも一興と思わない?」
「思わない! 親子や恋人ならともかく、普通兄妹で一緒に風呂には入らな……」
「仲の良い『姉妹』なら別に珍しくもないと思うけど?」
「姉妹じゃなくて『兄妹』! 姉じゃなく兄だろう、あんたはっ!? オカマ扱いすると怒るくせに、なんでこういう時は姉、女ぶるんだよ!?」
「なあに? もしかして、魔夜ちゃん、私に裸を見られるのが恥ずかしいの?」
「そ、そんなこと言ってないだろう! ひとの話を少しは聞きやが……うにゃ!?」
「ツベコベ言わずにさっさと入る!」
イヴは、魔夜を蠅か何かのように平手で温泉へと叩き落とした。
「姫様の護衛はシン様が居れば充分だから……今とても暇なのよ」
「ああっ!? がはぁ……だから、服のままで風呂に入る趣味はないぜっ!」
魔夜が湯面に浮かび上がってくる。
「姉(兄)の暇潰しの玩具になるのは妹の義務よ、魔夜ちゃん」
「そんな義務あるか!」
「はいはい、湯の中で暴れちゃメッよ。まったく、行儀が悪い子なんだから……」
『まったくよ、少しは静かにして欲しいわね』
「えっ?」
「あっ?」
予想外の第三者の声に、吸血鬼の兄妹は同時にきょとんとした。
「皇牙ちゃんのお湯を汚すんじゃないわよ、この黴菌共っ!」
「お姉ちゃん、言い過ぎだよ〜」
気配がまったくなかったので今まで気づかなかったが、声のする方……温泉の奥の方をよく見ると湯気の向こうに二つの人影がある。
「……皇牙?」
イヴと魔夜の声がダブった。
魔夜にもイヴにもその名前は覚えがある。
「ああん? 地上の黴菌風情が皇牙ちゃんを気安く呼び捨てにしているんじゃないわよ!」
「お姉ちゃん、ガラ悪い〜」
お湯をかき分けて、二つの人影が近づいてきた。
「ああ、もうこの黴菌排除したら、新しい別のお湯に入らなくちゃ……」
「う〜ん、熱湯消毒みたいに大丈夫なんじゃないかな?」
「嫌よ! あたしは皇鱗以外のモノと同じ湯に入るなんて耐えられないわ! ああ、鳥肌が立ってく……て、あれ?」
「それを言ったら温泉なんて昔誰が入ったか解ったもんじゃ……あっ?」
今度は、彼女達が、先程の吸血鬼兄妹のようにきょとんとする。
「よう、お久しぶりだぜ」
「ご無沙汰しております、皇牙様、皇鱗様」
吸血鬼の兄妹は、姿を現した異界竜の双子に、それぞれ自分のスタイルで挨拶した。








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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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